諺から考える健康学 98

【諺から考える健康学 98】 『歯亡び舌存す(はほろびしたそんす)』という諺があります。 これは、「堅い歯はなくなっても柔らかい舌はなくならない意から、剛強なものはかえって早く減び、柔弱なものが長く生き続けることのたとえ」のことです。 最近、ようやく隣国の原発の汚染水が垂れ流しになっていた事実が浮き彫りになってまいりました。 東日本の大震災の際、福島に対してあれだけヤイヤイ言ったり、復興の邪魔立てをしていた国が、です。 何とも早、怒りを通り越して呆れるばかりです。 嘘で塗り固めているにも関わらず、それを堅固に貫き通すという、その姿勢には呆れ果てます。 なぜ、そんなところが国際社会で存在していられるのかが不思議で仕方ありませんが、これも膨大な人口による国力の為せる技なのかもしれません。 諺通り、剛強と思われているこの国が、早く新しい風の吹く新国家に生まれ変わってほしい、と切に願う次第です。 健康においても如り、であります。 「絶対この方法の方がいい!」 「絶対、この食品を摂り続ければ病気が治る!」 「絶対、絶対…」 といったフレーズは、よく耳にするでしょう。 しかし、この「絶対」という剛強な姿勢が、身を滅ぼすことは多々あるのですね。 たとえば、今流行りのマクロビなんかでもそうです。 「絶対、身体にとって自然のものの方がいい」 というのは真実ですが、それが偏りすぎて全ての病気が食生活だけに原因がある的な発想になってしまっては、偏狭過ぎるのですね。 それは、私も玄米食養コンサルタントでもありますので、より良いものを摂る大切さは、よーく存じ上げているつもりです。 確かに、現代の食生活にはかなり問題はありますが、どのような心持ちで食に接するかで、身体への悪影響は変わってくるものなのです。 逆に、その「偏狭さ」が自身を攻撃するアレルギーを呼び込んだり、正常細胞が悪性化して体を蝕む癌を呼び込んだりしてしまうのです。 『真実を知った上で、柔軟に対応する』という、諺通り、柔軟さが大切なのですね。 そして、その柔軟さを生み出すものは「感謝の心」であるのです。 あらゆるモノには、モノづくりに携わる方々が多数、いらっしゃるわけです。 食事なら、食事を作る人、原材料を作る人、店頭に売られてあるモノならそれをパッケージングする人…等など。 沢山の方々の、仕事の集大成がひとつのモノになるのですね。 それに携わる方には、「積極的に健康を害してやろう!」と考えながらしている方は、かなり少数派だと思います。 「少しでも美味しいものを、少しでも喜んでもらえるものを」と思って与えられた仕事に専念している方々が殆どなのですね。 それを「身体に悪い、これは毒だ!」的に、製造に携わる人も悪魔のような扱いをして一刀両断して排除するのはいかがなものでしょうか!? 選択するしないは、本人の自由ですから、それを摂らないことには全く批判するつもりもありませんし、良い選択でもあると思いますが、必要以上に「悪魔化」してしまうのはいささか、お門違いの気が致します。 そのお心根を、治された方がいいのではないか?と考えてしまうのは、私だけでしょうか? もっと、柔軟な、柔らかい心を養っていくことが、社会をより良く 身体もより良くなっていく秘訣のような気が致します。 『あらゆるモノに、感謝できる心』 これを培っていきたいと、私は思っています。 皆様はいかがお考えでしょうか?