諺から考える健康学 97

【諺から考える健康学 97】 『浮世の苦楽は壁一重(うきよのくらくはかべひとえ)』という諺があります。 これは、「この世の苦楽は隣り合っていて変転極まりないものであるから、苦境にあっても悲観することなく、楽境にあっても楽観は禁物であるという教え」のことです。 これは、仏教で言う「諸行無常」とも同意義であるかと思います。 科学の進歩により、さまざまな生活環境は変わりました。 10年、いや5年前から比べても、暮らしは便利になり、ペーパーレスも進み、資源の無駄遣いや、ゴミの削減なども進んでいるかと思います。 が、しかし一方では、電磁波問題や、スマホ依存などの精神疾患の複雑化などを引き起こしてしまっているのも残念ながら事実であります。 コミュニケーションが苦手な人たちが増えているのもそうかもしれません。 人間が人間らしく余裕を持って生きていくためのものが、逆に、人間を人間関係から遠ざけている面もあるような気が致します。 そんな中でも、より高みを目指し、幸福感を増していく方法を探し求めている姿勢というのはとても大切なことであると思います。 「もう、これで充分」と、立ち止まってしまった時に、転落は始まっているのかもしれません。 常に謙虚であり続ける、常に探究心を忘れずに精進し続けることが 常に変転する世界で、幸福感を持続してゆく秘訣なのかもしれません。 皆様はいかがお考えでしょうか。 健康においても如り、であります。 一つの病を克服し、2度と辛い思いをするもんか」としばらくは気をつけて過ごしていても、時間と共にまた、元の木阿弥で次の病がやって来ます。 これはある意味、「健康に対する奢り」が引き起こす業でもあるのですね。 「私は大丈夫」 「もう、元気だから大丈夫」 「少しくらい〇〇しても、大丈夫よね!?」 と、思ったことのない方はいないと思います。 しかし、そこで立ち止まって考えてみるか、そのまま勢いで進んでいくかで、先の未来は大きく変わるのです。 「いやいや、そうは言っても…」という謙虚な姿勢や、より元気な身体創りのためには何が必要なのか、を常に考えるという事が大切なのですね。 「日常に流される」という事は、常にある事であり、誰でもある事なのです。 しかし、流され続けるという事は生命に対する奢りであり、怠け心(探究心がない)であるということを、知らなくてはなりません。 まさに「浮世の苦楽は壁一重」であり、諸行は無常なのです。 「これでいいんだ」と、奢ることなく、日々、謙虚に精進する事が大切なのですね。 実に、簡単で当たり前のように思えますが、それが一番難しいことでもあります。 「有る+難しい」で「ありがたし」です。与えられた身体で幸福に暮らしていく事は誠に有り難い事なのですね。 与えられた身体に感謝して、謙虚に精進していきたいと、最近、改めて私は思っています。 皆様はいかがお考えでしょうか?