諺から考える健康学 93

【諺から考える健康学 93】 『猪も七代目には豕になる(いのししもしちだいめにはいのこになる)』という諺があります。 これは、「変わらないようでも、長い年月の間にはそれなりに変化していることのたとえ」のことです。 2024年がスタート致しました。 年末から続く、安倍派議員の取り調べの中で、100人にも及ぶ不記載が明るみ出てきました。 何とまぁ、揃いも揃って…、という感じではありますが、これも長い間の慣習だったのでしょう。 諺通り、ずっと変わらず自由にできる裏金を作り続けて、未来永劫、この慣習は続くと思ってはいたのでしょうが、少しづつ変わってくる世の中や政界のウエイトバランスなどなどで、今回は明るみに出たのでしょう。 悪いことだけが、この諺に当てはまるわけではありません。 コツコツと、努力してきたことが当たり前のようにしている日常が、大いなる偉業になっていることもあるわけですね。 毎日毎日、変わらぬ日常の積み重ねが、変わらぬようでも積み重なることで大きな「徳」にもなれば、「犯罪」にもなる、ということなのではないでしょうか? 日々、生々流転し続けて「変わらないものは何もない」と言えるのではないでしょうか? 健康においても如り、であります。 身体の細胞ひとつ一つは、日々、生々流転の中にあります。 容姿は同じようでも、中の細胞は生死を繰り返しているのですね。 その変わらない、と思われる容姿においても長い年月で全く違う容姿になっていくのです。 人は、この生々流転、生老病死の法則からは逃れることは出来ないでしょう。 さすれば、病にあるある方は「もう、ダメだ、この病は治ることはない…」と諦める必要はなく、また病のない方も「私は元気だから、丈夫だから大丈夫!」と健康の奢りに浸っていてはいけない、ということです。 昨日より今日、今日より明日、同じルーティンの中にあるようでも、少しでも良くなるように、前進するように心がけていくことは可能なわけです。 これは老若男女、問わずであるのですね。 人の身体は、死を迎えるまで、この法則の中にあるのですから常に流動的なのですから。 さぁ、このように考えてみますと1日1日を大切に、一瞬一瞬を大切にすることが、変わらないと思われる毎日の中でも一番大事なことなのではないか、と私は思います。 当たり前、と思う中に発展進歩の種は沢山あるのではないか!?と思っています。 皆様はいかが、思われますでしょうか?