諺から考える健康学 70

『我が物と思えば軽し笠の雪(わがものとおもえばかるしかさのゆき)』という諺があります。 これは、「笠に降り積もる雪も、自分のものだと思えば軽く感じられる。苦しいことも、自分のためだと思えば、意外と苦にならない」という意味です。 先日の安倍元総理の国葬の皆様の言葉を拝見していると、この様に感じておられる方は、一体、如何程居られたのだろうか?と、考えてしまいます。 何か、故人のこと、この国のこと、そして、人々の幸せのこと、に関して他人事の様なお話ばかりだった気がいたします。 SNSなどでは「菅さんの友人としてのメッセージが良かった」という意見が多々見かけられますが、本当にそのくらいだった気がいたします。 ただ、菅さんにおいても、現総理だったら、あのようなお言葉になったのだろうか!? と考えてしまうのは、私だけでしょうか? 国葬になったことは、故人の実績や、海外の皆様との繋がりなど考えれば、悪い事ではなかったと思います。 ただ、国葬なら国葬で、国を挙げて故人を偲ぶのであれば、もっと未来的視点のお言葉があっても良かったのかな?!と思ってしまった次第です。 自分が亡くなったら、そこで生前の自分の理想を語ってもらうのも、そして、それを更に発展させたお話をいただけるのも供養なのではないかな、と私は思います。 斜に構えた見方かもしれませんが、私が将来、この世を去ったときはそうしてもらいたいものだな、とふと思ってしまいました。 皆様はいかがお考えでしょうか? 健康においても如り、であります。 病気になると、病気に関する様々な体験談、苦労話、はたまた奇跡的なお話など耳にする機会が増えるものです。 それはそれでとても大切なことですし、情報としてもしっかり持ってきたいものですが、聴く側は聴く側で、悪戯に恐怖や不安を募らせるのではなく、希望や実現する意欲を持って聴くことが大切でしょうし、 話し手は話し手で、自分の利己的な満足のためでなく、相手にとっての夢や未来を与えていける様なお話にしなくてはならない、と思います。 諺通り、 「全ては自分の成長のためにあるのだ」 「そのために必然的に用意されたものなのだ」 と、本当に思えた時にこそ、病を克服する道が開かれるものです。 そう考えると、あらゆるものに関心を持ち、全てを自分事として受け止めることが大事であり、それが『愛』というものなのではないかと私は思います。 少し、穿ったお話だったかもしれませんが、皆様はいかがお考えでしょうか? 2022.10記