諺から考える健康学 30

『暖簾(のれん)に腕押(うでお)し』という諺があります。これは、 「張り合いのない様を否定的に表現した」ことわざです。 また、「どれだけ熱意を込めて働きかけたところで、こちらの頑張りは空回り、期待した反応や効果は得られることなく無意味、無駄に終わる」という意味もあります。 現在のコロナ禍、はたまたコロナ対策禍において、いろいろなシチュエーションで、このような事が多分に起きている気が致します。 「新型コロナは恐ろしい…」と、怖がっている方々にとっては、「これだけ感染が拡がっているのに、なぜ皆んなで歩き回っているんだ!?」と思っている方もそうでしょう。 「これだけ政府やマスコミが自粛自粛、と言っているのに…」と、まさに暖簾に腕押しの心境でしょう。 また逆に、「コロナなど恐るに足らん!!ちゃんと報道しないマスコミはけしからん!」と憤りを感じている方々にとっても、暖簾に腕押し状態ですね。 また、しっかりと調査を重ね、今の新型コロナの実態をほぼ確実に把握されている方でも、声を大にして意見しても素通りされることが多く、これも暖簾に腕押し、といったところでしょう。 本当に、今回のコロナ禍、コロナ対策禍、というものは『人の本質』を炙り出しているのかもしれません。 悪戯に批判を重ね、相手をねじ伏せようとするシーンが多々見受けられるのではないでしょうか? 新型コロナウイルスというものに対して、どう考え、どう対応するのか? これは人それぞれでしょう。 そして、それを善悪だけで判断するのは難しいと思います。 では、何が大切なのでしょうか? 私は、暖簾に腕押しという諺に象徴されているような気が致します。 『暖簾は、そもそも押すものでも引くものでもない』ということです。 暖簾はくぐるもの、なのですね。 「力まずただくぐる」これが大切です。 コロナにおいても同じです。そもそも、押しても引いてもどうにもなるものでは無いのですね。 力まずに、軽やかに、明るく、そして同じ事象で困っている世界人類ならば、立場はどうであれ、調和して生きる、という姿勢が大切なのです。 恐れてみても、舐めてかかっても、人々が調和しなければ地球規模で起こっている大事態はなんの意味もなさないのです。 大切なのは、どうやって生きるかという方法ではなく、「どう生きるか」という心のあり方なのだ、ことです。 そこを見失ってはいけないと、私は思っています。 健康においても如り、です。 様々な病気で悩み、苦しみ、憂鬱な毎日を過ごすことが多いと思いますが、病気を治すことが本来の人生の目的ではないのですね。 「病気を通して、どう生きるのかを学ぶ」 これが目的なのです。方法論ばかりに囚われて、目的を失ってはいけないと思います。 『明るく、軽やかに、かつ調和を目指して生きる』 それが今の私たちに課せられた課題なのではないか!?と、私は思っています。 気がつかなければならない時に気がつかないと、次の課題はさらに負荷が大きくなるでしょう。 夏休みの宿題をサボるのと同じことなのですね。 そうならないよう、一人一人が、今、気がつかなくてはならないことに気づく必要があるのではないか?と、私は思います。 皆様はいかがお考えでしょうか?