諺から考える健康学 28

【諺から考える健康学 28】 『鱣は蛇に似たり、蚕は蠋に似たり』(せんはへびににたり、さんはしょくににたり)という諺があります。 これは、「蠋」は、芋虫のことで、 蛇は恐れられる動物だが、その蛇に似ている鱧であっても、漁師は平気でつかみ、芋虫に似ている蚕も、養蚕をする者は気味悪がったりせずに扱うことから、「人は利益のためなら恐ろしいことも嫌なことも、平気でやるものだということのたとえ」で使われる諺です。 現在のコロナ禍においても、このようなことが起こってしまっているような気が致します。 『マスク警察』 『PCR検査での確定診断』 『ワクチン証明書が行動を制限する』 などなど…。 ただ、本当に恐ろしいのは、これらの事が「恐ろしいこと、嫌なこと」と思わずに大勢の方がやっている、という事です。 「事の真相」を理解している一部の方々は、理解して、それでも、それぞれの立場、それぞれの社会環境などから仕方なくやっている方々もおられるでしょう。 まだ、この方がいいのかもしれません。 よく、『知らずに犯す罪』というのは、「知らなかったんだから仕方ないよね…」と思われがちですが、私はそうは思いません。 『知ってて犯す罪』は、まだ、良心の呵責というか、罪の意識が多少なりとも作用するだけマシなような気がします。 『知らずに犯す罪』は、ストッパーが効かないどころか、「良い事をしている」という勘違いが働いて歯止めが効かないことも多々ある分、罪深くなるような気が致します。 今日の諺で言えば、「芋虫から、絹糸が創造できる」と信じているようなモノですね。 知らない、というのは、その事自体、罪なのかもしれません。 仏教でも六大煩悩の中に『痴』というのがありますが、知恵不足のことを言っています。 私達は、ひと昔前よりも多くの情報をすぐに手に入れることができ、賢くなったという勘違いを起こしている人が増えているのかもしれません。 「情報は持ってても、智慧が足らない」 という事が、ひと昔前より逆に増えているのかもしれません。 これは、常に自戒していくことではないか?と、私は考えています。 健康においても如り、です。 YouTubeや、SNSを見ていても、 「奇跡の食品」 「奇跡の健康法」 「神の手を持つ〇〇先生」 が、散乱しています。 奇跡は、滅多に起きないので奇跡ですよね。 神の手、神の手、と薬師如来を祀るお寺よりもその数は多くなっています。 神の手をお持ちなら、本当なら、猫の手を借りたいくらい忙しいのではないでしょうか?!(もちろん、本当に神の手をお持ちの先生方もおられますので、お間違いのないように^ ^) 今一度、事実と幻想を、しっかり見極めて、地に足をつけて物事を捉え直していく必要があるのではないかと、私は思います。 皆さまは、いかがお考えでしょうか?