諺から考える健康学 22

【諺から考える健康学 22】 猿の水練 魚の木登り(さるのすいれん うおのきのぼり)という諺があります。 これは『木登りをする猿が泳ぐ練習をしたり、水の中で生きる魚が木登りの練習をすることは不自然なことから、見当違いなこと、ありえないことのたとえ』 のことです。 今の世の中、まさにこの通りではないでしょうか? 確定診断に用いることのなかった「PCR検査」が全ての采配を握る『葵の御紋の印籠』となり、 「無症状感染」という、殆ど問題のない事が『クロ』扱いをされ、 感染の何たるかを知らない人達が、感染について「ああだ、こうだ」と論議し合い伝家の宝刀のように消毒液やパーテーションが扱われる…。 まさに、『猿が水中を生きる生物』という論理がまかり通ってしまっているように思えます。 「一年かけて、情報を流し続けると、本当にこんな不可思議な世界なるのだなぁ」と、ある意味恐ろしさを感じざるをえません。 『猿は木登りをし、魚は水中を生きる生物だよ』 という常識が、常識でなくなる日が来るとは、この諺ができた頃は夢にも思っていなかったのではないでしょうか? ましてや、その裏では意味不明な対策により経済破綻し、命まで落とす人が沢山出ているというのに…。 もういい加減、『目というのは、幻想を見るためでなく、現実を、そして真実を見るためのもの』という事を一人一人が気がつかなければならない瀬戸際であることに気がつかなければならない、と私は思います。 健康においても如り、です。 重い病気や、何年もかけて発症している病気というのは、一朝一夕でなくなるものではないのです。消せるものでもないのです。 それを求めて、情報漁りをするのは得策ではありません。 そんなことより、 「自分が何故、このような事態に置かれているか? 何故、このような病で苦しんでいるのか? 何故、こうなったのか?」 という、当たり前のことに目を向けて、しっかりとそこから学んでいかなくてはならないのではないでしょうか? 本当の原因を見つけ、そこを改善して善処していくことこそが、良い結果を導くことになるのです。 『善因善果、悪因悪果』 そろそろ、自分のことも、社会のことも、当たり前のことに目を向けていきませんか?? 今ならまだ間に合う、そう私は思います。皆さま、如何でしょうか?