諺から考える健康学 76

『禍福己による(かふくおのれによる)』という諺があります。 これは、「禍や福は運によるものではなく、本人の心掛けによるという教え」のことです。 最近、政治資金がらみでの議員辞職が続いておりますが、「政治と金」の問題は、今に始まったことではないのではないでしょうか。 政をなすには、資金は必要です。こと、大きなことを起こそう、成し遂げよう、とする時には、それこそ様々なお金が必要になることでしょう。 これは、政に限らず、事業でも商売でも同じことです。 政だけが、純粋に志だけで何とかなるものではありません。 しかし、政と称して、私利私欲に走ってしまう輩が多い為に、このような出来事が起きてしまうのでしょう。 「なぜバレてしまったのか!?なんて、運がないのだろう…」と思っているかもしれませんが、それは明るみに出てしまった皆さん、お門違いだ、ということですね。 本当に、世のため人のためにかかるお金に関しては、それを責める人はいないでしょう。 不惜身命の思いで、政を成し遂げようとする人には、協力さえあれど、あげ足を取ろうとする人は、そういないはずかと、私は思います。 その投資は、必ず国や国民を豊かにすることは、皆、百も承知なのではないでしょうか? マスコミも、「マスゴミ」と言われる方々ばかりではないと信じたいものです。 皆様はいかがお考えでしょうか? 健康においても如り、であります。 病気になったことで、「自分はなんと運がない…」と考えてしまうことは多々あると思います。 しかし、よくよく考えてみて頂きたい。 本当に、「自分自身の生活」に、間違いや、偏りはなかったか? また、それを形成する「根本的な自分の思い」に間違いや、偏りはなかったか? まず、そこを点検してみて下さい。 必ず、そこに答えはあるはずなのです。 運命論的に、病気を捉えるのは簡単ですし、楽なことではあります。 (考えなくていいですので) しかし、私は運命論的に病気を捉えるのは安易であると思います。 しっかりと己自身と向き合い、己の心を見つめ直し、それを責めるのではなく、また、後悔しすぎるのではなく、はたまた、楽観視しすぎるのではなく、「公平な目」で見て、ただただ受け入れる。 そして、そこから運命論的なものをさらに乗り越える思考を生み出し、実行していく。 そこにぜひ、取り組んでいただきたいと思います。 「運命を乗り越える力は、自らの心の中にある」ということを知り、そしてそれを体得していくための病気なのである、ということを肌で感じていただきたいな、と思っています。 2022.12記