2024/04/29
『禍福己による(かふくおのれによる)』という諺があります。
これは、「禍や福は運によるものではなく、本人の心掛けによるという教え」のことです。
最近、政治資金がらみでの議員辞職が続いておりますが、「政治と金」の問題は、今に始まったことではないのではないでしょうか。
政をなすには、資金は必要です。こと、大きなことを起こそう、成し遂げよう、とする時には、それこそ様々なお金が必要になることでしょう。
これは、政に限らず、事業でも商売でも同じことです。
政だけが、純粋に志だけで何とかなるものではありません。
しかし、政と称して、私利私欲に走ってしまう輩が多い為に、このような出来事が起きてしまうのでしょう。
「なぜバレてしまったのか!?なんて、運がないのだろう…」と思っているかもしれませんが、それは明るみに出てしまった皆さん、お門違いだ、ということですね。
本当に、世のため人のためにかかるお金に関しては、それを責める人はいないでしょう。
不惜身命の思いで、政を成し遂げようとする人には、協力さえあれど、あげ足を取ろうとする人は、そういないはずかと、私は思います。
その投資は、必ず国や国民を豊かにすることは、皆、百も承知なのではないでしょうか?
マスコミも、「マスゴミ」と言われる方々ばかりではないと信じたいものです。
皆様はいかがお考えでしょうか?
健康においても如り、であります。
病気になったことで、「自分はなんと運がない…」と考えてしまうことは多々あると思います。
しかし、よくよく考えてみて頂きたい。
本当に、「自分自身の生活」に、間違いや、偏りはなかったか?
また、それを形成する「根本的な自分の思い」に間違いや、偏りはなかったか?
まず、そこを点検してみて下さい。
必ず、そこに答えはあるはずなのです。
運命論的に、病気を捉えるのは簡単ですし、楽なことではあります。
(考えなくていいですので)
しかし、私は運命論的に病気を捉えるのは安易であると思います。
しっかりと己自身と向き合い、己の心を見つめ直し、それを責めるのではなく、また、後悔しすぎるのではなく、はたまた、楽観視しすぎるのではなく、「公平な目」で見て、ただただ受け入れる。
そして、そこから運命論的なものをさらに乗り越える思考を生み出し、実行していく。
そこにぜひ、取り組んでいただきたいと思います。
「運命を乗り越える力は、自らの心の中にある」ということを知り、そしてそれを体得していくための病気なのである、ということを肌で感じていただきたいな、と思っています。
2022.12記