諺から考える健康学 68

『禍福門なし唯人の招く所(かふくもんなしただひとのまねくところ)』という諺があります。 これは、「禍福や幸福がやってくるのには、初めから定まった門があるのではなく、悪をなせば禍がくるし、善をなせば幸福がくるのであって、幸不幸は結局その人の行いが招くものだという教え」のことです。 このところ、天候の不順や天災が相次いで起きています。 局所的な大雨による、水害や土砂災害、火山の噴火や壊滅的とまでいかなくとも震度5強以上の大きな地震の頻発など、日頃の対策を強いられる、そして、のほほん、とは過ごせない日々が続いております。 これは、日本のみならず、世界規模で起こっているものですね。 天災に対しては、いざという時の災害対策ももちろん大事なことですが、今一度、立ち止まって考えてみることも大切だと私は思います。 「なぜ、こんな事態になってしまっているのだろう??」と。 古より、「政が乱れると天災が起こる」とか、「医乱れれば国乱れる」など、大きな国の運営に対して誤った方向に行く時に天災が多くなる、と言われています。 これは一概に、迷信だとは言い過ごせないことであるように思います。 歴史を遡って考えてみても、日本でも大地震や飢饉が起きていた時は、政治が乱れている時がほとんどです。 そう考えると、現在は日本のみならず、世界規模で起きていることでありますので、世界的に政のバランスを欠いている国々が多いのではないでしょうか? ロシアの戦争しかり、中国の横暴な国策しかり、ヨーロッパ、アメリカの過剰な衰退、しかりです。 こうなると、政を司る人達の重要性が見えてくると思います。 そして、逆に、これを全て、政に関わる人たちのせいだけにするのも如何かな!?とも思います。 そもそも、その人たちを選んでいるのは、私たちひとり1人でありますし、選出される国でない場合も、その長をその長で良しとしてしまっている国民もいる、ということです。 そうであるならば、すぐに世界を変えることは不可能ですが、日々、個人において、社会活動、人間活動において変えていけることはあるのではないでしょうか? 諺のなす意味は、仏教で言う『善因善果、悪因悪果』ということですね。 結局のところ、世を良くしていくには、一人一人が善因を日々、コツコツと蒔いていくほかはないのかもしれません。 皆様は、どう思われますでしょうか? 健康においても如り、であります。 「天候や自然環境が悪い」 「食品添加物が溢れているのが悪い」 「いろいろな薬剤の害が…」 などなど、いろいろと身体を壊す原因らしきものは言われてはいますが、結局は、個人個人の身体づくり にかかっているのですね。 昨今の新型コロナウイルスにおいても、しかりで、「受け手」の問題なのです。 同じ環境にいても、罹る人は罹るし、罹らない人は罹らない。 ワクチン云々の問題ではないのです。 さすれば、私たちは何をするのか? どこに健康のターゲットを置くのか? これがわかるのは、インターネット上にはありません。 自らで、自らの心のあり方、生活態度、生活習慣をひとつひとつ、丁寧に点検するしかないのですね。 そして、諺通り、「悪因があれば取り除き、善因を取り入れる」という当たり前のことに真理があるのみなのです。 ネットやSNSで、情報を仕入れて、“インスタント健康家”になったところで本当の身体づくりは出来ないのです。 これは、意外と見落としがちになることですので、皆様、忘れずにいていただきたいと思います。  『善き心と善き身体』。これが個人的にできる人が増えれば、世の中もきっと善き世に変わってくるのではないでしょうか?! 皆様は、いかがお考えですか?