諺から考える健康学 66

『水火を辞せず(すいかをじせず)』という諺があります。  これは、「水に溺れ、火に焼かれるような目に遭っても、それをものともしないこと。苦難や危険をかえりみず物事に取り組むこと。」の意味です。 先日、改造内閣がスタート致しましたが、昨今の政治、政治家を見るにつけて水火を辞せず、という姿勢はとんと見られないような気が致します。 新型コロナの対応然り、元T協会との関連然り、対外交然り…。 「水火を避けて、または、水火に目を瞑って、舗装した安全な歩道を歩く」という姿にしか映らないのは、私の目にだけなのでしょうか? 皆様の目には、どう映っておられますか? 口では、「国を護る!国民を護る!」と、皆仰っておられますが、護っているのは「ご自分の立場、党の立場」だけのように感じられます。 そこを是正していくはずの野党においても、全く同じですよね。むしろ 与党よりも酷いかもしれません。 この様な現実が続いていれば、私たち国民は、自分自身で、国民一人一人が「水火を辞せず」の姿勢をとっていくしかないのではないか!? と思います。 一人一人が、その思いを出し続けることで、一つの集合想念として、生命が吹き込まれるのを待つしかないのかな?!とも思います。 人のことをとやかく言うよりも、一人一人が本気で「水火を辞せず」という思いを本気で出し続けることをしていかなくてはならないな、と、 考えている今日この頃です。 皆様は、いかがお思いでしょうか? 健康においても如り、であります。 自分自身の健康に、「水火を辞せず」の思いで取り組んでいる方は一体、どのくらいおられるでしょうか? 意外と人任せ、人の意見や噂に右往左往している方が殆どなのではないかな、と思います。 この「水火を辞せず」という姿勢が、本当の「自己責任」というものなのかもしれません。 とかく、人は苦難困難が訪れると、逃げたくなったり、人のせい、環境のせいにしたくなるものです。 そのこと自体を、否定するつもりも、責めるつもりもありません。 しかし、最後は腹を決めて、水火を辞せずの思いで、取り組んでいく覚悟を、常々、持っている必要があるのだと、私は思います。 何もない、常日頃から、このことを認識しておくことはとても大切なことです。 当然、私も含め、ともにそのことに取り組んでいくことが大切だと思います。 さぁ、思い立ったが吉日。お盆の少し時間の余裕がある時に、一度仕切り直して考えてみませんか? そのことが、私達が今ここにいることができるように連綿と続いてきたご先祖様達の供養にも繋がるのではないか?と、私は思っています。 皆さまは、どう思われますでしょうか?