【諺から考える健康学 53】

『殺生は八分の損、見るは十分の損 (せっしょうははちぶのそん、みるはじゅうぶのそん)』という諺があります。 これは、「生き物を殺す残忍な行為をする者によいことはないが、それを見て喜ぶ者にはいっそうよいことはない。殺生を見て喜ぶ人間を戒めのこと」という意味です。 先日からロシアのウクライナへの侵攻が取り沙汰されております。 西側、東側、それぞれの正義がありどちらが一方的に悪いとは言い切れない面もありますが、武力を行使することはいずれにせよ、避けなければならないことであるのは確かです。 ただ、今の世の中、武器を用いない武力もあるので、こちらも何とも言い難い面はあるのかもしれませんが、やはり、戦争は避けなくてはならない道だと思っています。 戦争を阻止すると見せかけて、違う方法で不必要な圧力をかけたり、病気を流行らせたりなどというのは、もっての外だと思いますし、他国の侵攻を逆手にとって、自国の正当性にこれから当てていこうなど考えているのは「見るは十分の損」にあたるものだと思います。 それを本気で阻止するために、武器を使う、使わないを別にした世界が、一日も早く実現できたらいいなぁ、と切に願う次第です。 きっと、地球自体も、それを望んでいるのでは無いだろうか!?と、私は思っています。 皆さんはどう思われますか? 健康においても如り、であります。 自分より状態の悪い人たちを見て、安心する人も病気の方々にはよく見られます。 「自分よりひどい人がいるから、自分はまだ不幸ではない」 これは、一見、積極的な考えと誤解されやすい発想ですが、実はそうではありません。これは、「見るは十分の損」に値する事であるのです。 自分よりひどい人を見たなら、その人達が「少しでも良くなればいいのに」と、我を忘れて愛の思いを手向けた時に、その調和の力で自らも回復していく、というのが真実であるからなのですね。 同じように、自分より不幸な人や物事を見て比較して安心する、ということは、ありがちな事ですし、また、そのように考えてしまう気持ちもわからないではありませんし、一刀両断で斬るつもりは毛頭ありません。 しかし、同じ地球上に同じ時代に生を持ち、同じように暮らしている仲間として考えた時、その様に考えることは、実は「見るは十分の損」に値することである、ということを知らなくてはならないと思います。 まず、「自分に何ができるのか。」これを考えて実践していくことが大切なのです。 『利自即利他』という仏教用語がありますが『利他即利自』でもあると私は考えています。 それを即、実践できるように備える、ということが健康の定義と言っても過言では無い、と私は思います。 皆様は、いかが思われますでしょうか?