【諺から考える健康学 51】

『尺を枉げて尋を直くす(しゃくをまげてじんをなおくす)』という諺があります。 これは、「一尺ぐらいの些細な不義を犯しても、一尋もの大義が行われるのに役立てばよいということ。転じて、小利を拾てて大利をとるたとえ」のことです。 ここ数年の感染症事情は、こんなことになっていなければ良いなぁ、と最近思います。 国民の生活、利益より何か大事なものが隠されているような、ないような…。 蔓延防止で時短を余儀なくされている飲食店だって今回のオミクロン株の蔓延に、どこに重点的に関わっているのでしょうか?? デルタ株の時ならとっくに緊急事態宣言に切り替わっているはずなのに、今回は蔓延防止のままです。 (まぁ、その方がまだマシですが) 待機時間、みなし陽性、などもこの2年間ではあり得ないことが、普通に行われています。 結局、国の考えは、一貫して本当に国民一人一人のことを考えて出されているものではないように感じるのは、私だけでしょうか?? いつまでも「無症状感染」などという感染症では問題にされないことを尤もらしく「危険度高い」的な扱いでやってることの矛盾に国民一人一人も気づいていかないとならないと思います。 一人一人が、キチンと意識を持って生活、行動してゆくことが大事です。 国や自治体に頼ってばかりいると、知らず知らずに矛盾の渦に取り込まれていくばかりだと思います。 そして為政を成すものは「本当の大利は何処に」という事を常に胸に刻んでいただきたい、と私は思います。 健康においても如り、であります。 「あなたのためよ」 「あなたにピッタリな健康食品はこれよ」 「あなたにとって大事な事だから あえて勧めてるの…」 などという、甘い言葉に翻弄されて財を失っていく方は数知れずです。 また、そんな中に自ら飛び込んでいく方々も多く見受けられます。 しかし、病気の大利は「治ること、治すこと」ではなく、 『その体験によって人生の糧をいかに得ることが出来るかを知ること』 なのですね。 結局、それが無く物理的に回復したとしても、また違う形で病が襲ってきます。実際は引き寄せてしまう訳です。繰り返し病気はやってきてしまうわけです。 実は、病気において「治すことは小利、なぜ病気になったの意味を本当に知ることが大利」であるという事を、まず知らなくてはなりません。 人間、辛い状況ではなかなかそうは思えません。なので、元気なうちから、この考え方は身につけておく必要がある、と私は思います。 皆様は、どう思われますでしょうか?