【諺から考える健康学 50】

『一輪咲いても花は花(いちりんさいてもはなははな)』という諺があります。 これは、「一輪だけ咲いた桜の花でも、木全体が満開の時と同じ桜の花だということ。小さくて目立たない存在であっても本質的には変わらないというたとえ」のことです。 最近、妙に自分に自信がなく、やる気が削がれている方が多くなってきているような気がします。 コロナ禍の影響で、社会全体がなかなか身動きが取れない、というのも原因の一つではあるかもしれませんが、もっと本質的な問題なのかもしれません。 「私なんかが、やっても…」 「これに取り組んだらいいんだろうけど、自信がなくて…」 「私なんか居なくても世の中変わらない…」 などなど、自分自身の存在をも、軽んじて見てしまう傾向が、全般的に強い感じがします。 政治などでも、絶対的信念や自信に裏付けされた政策がとれないのも、このような「現代日本の空気」のようなものの影響なのかもしれません。 人間である以上、欠点もあり、至らないところも沢山あるはずです。 それは、当然のことなのです。 完璧、完全ならば、もうこの世に生きて様々な経験を積む必要などないのですね。 長所と短所は表裏一体です。ベクトルの方向が違うだけで、本質的には同じことなのです。 たとえば、「心配性」という短所があるとするならば、それは「物事を慎重に正確に推める」という長所のことなのですね。 このように考えていくと、自信がない、自分自身の存在意義が見出せない、というのは本当は、『自分が大好き!」という事の他ないのです。 そこさえ、把握しておけば、何も怖いものはなくなってくるのですね。 健康においても如り、であります。 「病気だから何もできない…」 「病気じゃなかったら〇〇できるのに…」 では、ない、という事です。 病気だからこそ出来ること、病気の時にしか出来ないことというのは、実は沢山あるのです。 自分の人生をじっくりと振り返ってみたり、普段、気にもかけていない自分の周りの人々に感謝や笑顔で接してみたり、など慌ただしい毎日を送っている時には思いもよらなかった事などが実践できるチャンスなのですね。 諺どおり、お花畑にならないと花は美しいわけではありません。 たった一輪の花であっても美しいのです。 病気であろうと、自分に自信がなかろうと、やる気が削がれようと、「どこかで世のため人ためになりたい」という人間の本質はかわらないのです。 たった一つでも自分の中にその芽を探し出して、伸ばしてあげて欲しいと思います。 それだけで、逆境は突破していけるのだ、ということをぜひ実体験していただきたいと思います。 私自身も、当然、道半ばであります。共に頑張って参りましょう^ ^!