諺から考える健康学 47

『門松は冥途の旅の一里塚(かどまつはめいどのたびのいちりづか)』という諺があります。 これは、「正月に家の門口(かどぐち)に飾る松はめでたいものだけど、門松を飾るたびに年を取るのだから、門松は死に近づく一里塚(しるし)でもある」という意味です。 この後に「めでたくもあり、めでたくもなし」という句が続く、一休宗純が詠んだ狂歌のひとつです。 世の中、いい事のように見えて実は悪い事であったり、逆に悪いことのように見えても、良い事があったりします。 新型コロナに関してもそうだったのではないでしょうか!? 今現在、ジワジワとまた、オミクロン株が広まっては来ておりますが、以前のような恐怖心は皆さん起きていないようですね。 「気が緩んどる」という方もいらっしゃるとは思いますが、私は何とも過剰に思えた今までのコロナ報道から、皆様が解放されているように思えてなりません。 「慣れた」というよりも「学んだ」と言っても過言ではないと思います。 とは言え、まだまだ、国の発表の仕方や、報道のあり方で、恐怖心を拭いきれない方々も多いですが、逆にどんなに誇張されても信じないで、『客観的』に物事をみれる方々も多くなってきていると思われます。 これは、実に、良いことではないかなぁ、と思います。 新年を迎え、『門松は冥途の旅の一里塚』と悲観的に捉える方より、今の在り方に疑問を持つ方の方が、徐々にに多くなってはきています。 これは自分で素直に考える力がついてきた、ともいえると思います。 自分で素直に考えて判断する、この繰り返しが出来るなら、まだまだ世の中捨てたものではない、と私は思っています。 皆様は、いかが思われますでしょうか? 健康においても如り、であります。 確かに、当時は年齢を数え年で考えたため、年が明けると、皆、一様に一歳、年を取っていた時代では、門松が冥土の旅の一里塚、に思えても仕方がないかもしれませんが、今は年齢は「数え」ではなく「満」でカウントされますよね?! 「めでたい」ものはめでたい、で素直に喜べば良いのです。 病気が改善してくると、「この次は、そのまた次は…」と考える方は意外と多いのですが、改善したことは素直に喜べば良いのです。 そして、その喜びを増幅することだけに専念しておけば良いのだと私は思います。 病後は敏感になりすぎてあれこれ心配したり、悪戯に恐怖心が湧いたりするのは実際問題、あることだとは思いますが、そこが試されどころなのではないでしょうか? 「素直さ」 これを鍛錬するのも病気の時の利点のひとつです。 一休宗純は、世の中の出来事を少し斜に構えていた機来があったと言われています。なので、門松にこのような消極的側面を見い出してしまっていたのかもしれません。素直な見方が出来てきれば、一休の人生もさらに変わっていたのかもしれません…。 健康の自由を手に入れるキーワード…。 トップは「素直さ」なのかもしれません。 皆さまは、いかが思われますでしょうか?