諺から考える健康学 42

「朝のぴっかり姑の笑い」(あさのぴっかりしゅうとめのわらい)という諺があります。 この意味は、「”ぴっかり”は日の照るようす。朝に太陽が輝くとたいていは雨になる。朝のぴっかりはあてにならない。同様に、いつも機嫌の悪い姑がたまににっこりと笑っても、いつまで続くものやら、やはりあてにはならない。どちらもあてにならないのは同じということ。」ということです。 今、世間は「オミクロン株」の感染拡大防止のために、躍起になってきております。 ただ、「デルタ株」がなんで急速に広がって、なんで急速に減少したか?ということも解っていない現状で、何をどうするのか、色々試してみても、どうなるのか、とても「??」ではないのでしょうか? 結局、ウイルスは変異し続けますし、マスクだの、ソーシャルディスタンスだの言ったところで、ウイルスは、もっと小さいですし、通常の空間で、真空状態を作れないことと同じで、私たちの普段の環境からはどれだけ逃げても、逃げ切れるものではありませんよね。 人流があってもなくても、増える時は増えるし、減る時は減っています。 当たり前と言えば当たり前のことですが、長らく恐怖心に染まってきてしまっては、『当たり前』と判断できないのが現状です。 まさに、「朝のぴっかり姑の笑い」ですよね!? これだけ、正常な判断が出来づらい世の中では、当てにならないものばかりであると言っても何の不思議ではありませんね^ ^ 健康においても如り、であります。 「ガンに〇〇がよい!」 「これでガンが消え去る」 「難病も5分で克服!」などなど 耳障りのよい言葉は吐いて捨てるほど、世の中には満ち溢れていますよね⁉︎ 健康食品や、健康法、いろいろな施術は、山程ありますが本当に、諺通り「あてになるものはない」ということが言えるのではないか!?と思います。 「これさえ飲めば、食べれば、様々な症状が消える!」 「この療法で、すべての歪みが治せる!」 「この運動さえしていれば、病気知らず!」 要約すると、上記3パターンに集約される、雑誌、新聞、SNSで見かける膨大な健康関連の広告や体験談。 全てが嘘偽りとは言いません。 しかし、全てがケースバイケース、人によりけり、同じ人でもシチュエーションによりけりなのです。 でなければ、この国が医療費問題はとうの昔に解決しているでしょう。 大事なのは、健康な時の過ごし方なのではないでしょうか? いかに、その健康状態、不具合のない状態を少しでも長く、そして、それが崩れる時も必ず訪れますが、その崩れ方が軽くなるよう、平穏な時に創意工夫が必要なのですね。 『発展において発展を超える』 この考え方が大切だと、私は思います。そのためには、日々の反省、日々の感謝が必要不可欠になって参ります。本当に日々、修行なんですね。 人生100年時代。上昇気流に乗り続ける修行が、今の世には大切なことであるような気が私は致します。 皆様は、いかがお考えでしょうか?