諺から考える健康学 38

『秋の鹿は笛に寄る(あきのしかはふえによる)』という諺があります。 これは、恋に溺れて身を滅ぼすことのたとえでもあり、また、弱みにつけこまれて危険な目にあうことのたとえ、のことです。 昨今の、日本の状況はまさにこれ、ではないでしょうか? 虚像化された新型コロナウイルスの猛威から逃げたくて、逃れたくて「マスコミや、国が言っているから開発されてから時間がたっていないワクチンでも、大丈夫!」という、ある種の信心にも似た発想からワクチンに走る人々の多さには、正直、驚いています。 しかも、 ○当初「ワクチンは、重症化を防ぐものであって、感染を防ぐものではありません」 →現在「自分のためにも、人にうつさないためにもワクチンを打ちましょう」 ○当初「PCR検査陽性者は云々…」 →現在「新型コロナ感染者は云々…」 というように、言うことが、コロコロ変異する、国の発表やマスコミのニュースのどこに信憑性があるのかなぁ…、と感じるのは私だけでしょうか? 「コロナ恐怖症」となって、「感染者数〇〇」とか、まるで「ワクチンを接種しないと非国民!」的な報道の数々にビクビクしながら、「ワクチンを接種したら安全人になれる」という幻想の恋に溺れて身を滅ぼしている人があまりに多いような気がして、残念でなりません。 「コロナ感染者」よりも、この「コロナ恐怖症」に罹患してしまう方が、これからの未来、恐ろしいことになるような気がして止みません。 健康においても如り、であります。 ある種の「健康を害する幻想」に恐怖して、動きが取れなくなっている方々が多いと思います。 一昔前なら、「こんな病気になって悲惨な死に方になったらどうしよう…」的な方が多かったですが、昨今はSNSの情報を鵜呑みにして、『〇〇は、がんを引き起こす』とか、『〇〇の害は、知らず知らずにアナタの身体を蝕んでいる』などを当てにならないおかしな情報を丸っぽ、信心して恐怖に怯えている方々が、相当数増えているような気がします。 これならまだ、一昔前の「根拠のない恐怖」の方がまだマシだったように思います。 ヘタにおかしな情報を根拠にしているために、現在のこの『健康を害する幻想』から脱せられない方々が多すぎるのですね。 恋に溺れている時は、なかなか「百年の恋も冷める」というチャンスは来ないものです。そして、身を滅ぼして初めて「あぁ、しまった…」となってしまうのですね。 「信心するなら、自分の生命力を信じて欲しい」と、私は思っています。 思いに身体はついてくるのです。 持ち主であるあなた自身が、あなたの身体を信じなくて、一体、誰が信じるというのでしょうか? よく考えてみてください。 生まれ落ちて、何百日、ら何千日と、スクスクと育って、大きな病気もせず、大人になって、家族や家庭を持って、または、その中にいて、生きて暮らしているということは、ある意味、奇跡であるのですね。 そんな奇跡を体現できている自分自身をもっともっと信じてあげて下さい。 悪戯に、「〇〇で病気になる」などの情報に傾倒しないで頂きたい。 全てが幻想ではないにせよ、それが100%真実なら、皆さん、とっくに死んでいると思いますよ。 確かに、様々な健康を害する素因は増えてはいます。 しかし、原因には、条件が加わらなければ結果は出ないのです。 「悪因+悪条件=悪果、善因+善条件=善果」なのですね。 条件の方が大事なのです。 それには、日々、恐怖などに囚われることなく丸い心で生きる方が大切なのです。 それがたとえ悪因に満ち溢れていたとしても、悪因をも善果へと導く、鉄道でいう分岐器だ、という事に気づいてくださいね。 一人一人が、この分岐器をたくさん持つことで、キチッと目的地へと到着できる人生という旅路を全うできるのではないでしょうか? 私は、そう思います。 皆様は、いかがお考えでしょうか?