諺から考える健康学 27

習慣は第二の天性なり(しゅうかんはだいにのてんせいなり)という諺があります。 これは、「習慣は第二の天性なりとは、身についた習慣は、知らぬ間に深くしみこむものだから、いつしか生まれつきの性質のようになるということ」の意味です。 一年半前から続いております、『コロナ禍』において、この諺通りになってしまったものも多いですね。 「マスクの着用」 「手洗い、うがいの徹底」 「入店前の手指消毒」 「ソーシャルディスタンスの保持」 「ワクチン接種の徹底」 などなど…。 これらの中には、とても良いものもありますが、逆に良くないものも多いと思います。 なかなか、この『対コロナ』において、悪いことは目を瞑る傾向にありますので、全て「これは体にとって大切なこと」と思われている方も多いと思いますが、そうでもないことの方が多かったりもしますね。 一日も早く、コロナウイルスの終息ではなく、コロナウイルスに対する『正当な対応』を皆さんが身につけて、正常な生活に戻りたいものです。 このままですと、広大な宇宙から見ると、「地球人というのは下等でケッタイな生物だな」という認定を受けてしまいそうです。 この美しく、素晴らしい国を、星を、取り戻していくのは、私達一人一人の『正しい第二の天性』に他ない、と私は思っております。 健康においても如り、です。 コロナウイルスに対してだけでなく、日頃の痛みや病気に対しても、 『良かれ』と思っている習慣が身に付いてしまって、かえって事態を悪化させていることは多々あると思います。 これからの季節、暑いから湯船には浸からず、シャワーだけで過ごした方がいい、とか、寝る時は半袖半パンで窓を開けて寝た方がいい、とか、一見、良さげに見えることでも、実は、健康になるには逆の習慣も多くあるのですね。 良い習慣は、良い結果を招きます。 悪い習慣は悪い結果を招くのです。 これは、永遠の真理です。 身体に現れる健康習慣と違って、人間関係などの社会生活においても、複雑な絡みがありますので、一朝一夕で結果は出ない様な気がしますが、これは全ての事に当てはまると私は思います。 「今、何をなすべきか」 コロナ禍においても、普段の健康生活においても、はたまた社会生活においても、その結果、どうなるのかを想定して今を考える、という事も大切なことだと私は思います。 溢れんばかりの情報に流されすぎず、一人、静かに考えを巡らすこともとても大切なことだと思いませんか? 皆さまは、如何お考えでしょうか?