諺から考える健康学 17

【諺から考える健康学 17】 行き大名の帰り乞食(いきだいみょうのかえりこじき)・上り大名下り乞食(のぼりだいみょうくだりこじき)と言う諺があります。 これは、『旅行などで、行きは大名のように贅沢をするが、帰りは旅費が足りなくなってしまって乞食のようにみじめな思いをすること、無計画に金を消費したらあとで動きがとれなくなることのたとえ』のことです。 お金の消費だけでなく、様々な財産と考えてもいいでしょう。 まさに、今の世の中、これではないでしょうか? 新型コロナウイルスを恐れすぎるが故に、どれだけのお金や、時間が無駄に費やされているのでしょうか? エビデンスも何もない、ただ、「こうではないか?」という妄想だけで、営業自粛を強いられ、雀の涙の補助金がばら撒かれています。雀の涙も数が多ければ大洪水になります。 これだけ感染対策に無意味なお金の使い方をして、営業破綻の会社や店舗を増やして一体どうするのでしょうか? このツケは、必ず後から全国民が負担することになります。 いつからこの国は、社会主義、全体主義の国になってしまったのでしょうか? 政に携わる方々は、責任を取るといっても、辞任、辞職するだけです。 国民は、国を捨てるわけにはいかないですね。 「帰り乞食」にならないよう、自分たちでもしっかりと事実を見極め、生活のバランスをとっていく必要性が急務になっているように感じます。 「チャイナウイルスに侵されると、チャイナステイトになってしまう…」これが、新型コロナの一番恐ろしい本当の中味なのかもしれません…。 国や国民に対して感謝がないのが、社会主義、全体主義です。 感謝を忘れた国は、滅びの一途を辿るしかありません。 我が国はまだ、民主主義の国です。いち早く、気づいた人が襟をただしていく他はないのです。 健康においても如り、です。 体に不調を感じない時は、往々にして人は、『健康の傲り』という大盤振る舞いをしてしまいます。 暴飲暴食、無理無茶を繰り返す…etc。 健康という財産を散財し続け、そして、病への道を確実に歩んで、「健康の帰り乞食」になってしまうのですね。 ・健康でいられること。 ・毎日笑って過ごせること。 ・毎日普通に目が覚めて、普通に動けること。   これらは、本当は「有り難い」ことなのです。 こうしていられることに感謝してみませんか? 『当たり前のことに対する感謝』 これが、「傲り」という病原体への特効薬になります。 毎日文句も言わず働いてくれているカラダ、一緒に過ごしてくれている家族や同僚、そして、同じ時に同じ国、同じ星に生まれているいろんな人々、感謝の対象は無限大なのです。 まずは、出来ることから始めてみませんか?