諺から考える健康学 24

馬の耳に念仏(うまのみみにねんぶつ)という諺があります。 これは、「ありがたい念仏を馬にきかせても無意味であることから、いくら意見をしても効果がないことのたとえ」のことです。 コロナ禍において、国民全体がこの様になってしまってるいる気がします。 一年以上、TVや新聞、ネットなどで『新型コロナウイルスは前代未聞の恐ろしいウイルス』という設定が出来上がっている気がいたします。 確かに、症状がひどくなり、死に至るケースも『稀』にあります。しかし、それは他の感染症にも多々あることです。 その様な本当の姿を語っている方はたくさんおられますが、まさに「馬の耳に念仏」で殆どの方に届きません。 ワクチンに関してもそうですね。 まるで「ワクチン教」の様に皆んなが崇めていますね。実体がないものですので、まさに一般的にいう宗教と同じ様になっています。 こうなると、他宗の念仏は全く聞く耳を持たない状態ですよね。 悲しいことです…。 何のためにこうなっているのか? どんな考えがあって、こうなっているのか? それは私にはわからないですが、私達は「馬」ではなく、『人間』です。 本当に世界が正しい方向へと向かっていく日が来ると、私は信じております。 それに向けて、微細ながら、粛々と自分に出来ることを考えて行っていきたいと思っています。 健康においても如り、です。 この健康法がいい! この食べ物がいい! この治療法がいい! と、快方へ向かう手段の情報を集めて実践するのは悪いことではありません。 ただ、 「これしかない」 「これ以外は考えられない」 になってしまってはいけません。 盲信、狂信することで良くなることも稀にはあります。 しかし、それはその方の「本当に治るんだ!」という強い思いがあったからであって、盲信、狂信したものが本当に良かったのかは『??』のことの方が多いのが現実です。 視野が狭くなり、他を排斥する様になってしまうことは、「人間から馬へ」変化していることの象徴であることに注意しなければなりません。 視野が広がり、考えが深まり、地に足がつき、そして人として豊かに、高みのある人生を送るようになることが、『病気になる、ひとつの目的』でもあるのです。 何事も方向性を間違えないことが大切なのです。 その先に何があるのか? 未来はどうクリエイトされるのか? この点は、常に忘れずに考え続けなければいけない、と私は思っています。 皆様は、いかがお考えでしょうか?