【諺から考える健康学 58】

『やはり野に置け蓮華草(やはりのにおけれんげそう)』という諺があります。 これは、「蓮華草のような野の花は、家の中に飾っても調和せず、やはり野の花は野に咲いていてこそ美しいのだということ。すべてのものは、それにふさわしい環境の中でこそ、そのよさも真価も発揮できるということのたとえ」のことです。 ゴールデンウィーク(2022.5当時)も、たくさんの人々で賑わっていました。 もう、コロナパンデミックもそろそろ終焉かなと、ようやく思える日々がやってはきたものの、未だに続いているのが“マスク着用”の必須です。 本来、マスクは咳などの症状がある方が飛沫を少しでも減らすためにあるもので、外からの侵入を減らすものではありませんでした。 花粉症の横行のお陰で花粉の侵入を少しでも減らすために、日本では20年くらい前からマスクをつける方が多くなってきました。 確かに、花粉のような大きい粒子には効果が一定数あるのは事実です。 ただ、ウィルスというのはとっても小さいものです。 ウィルスにとっては、マスクというのは目の前に置かれたジャングルジムのようなもので、ある意味、素通りと大して変わりはありません。 そんなことは百も承知の厚労省がなぜ、マスク着用で濃厚接触者にならない、という基準を設けているのかが謎でなりません。 公衆衛生やウイルス学を学んでいない一般の方は、「マスクをつけてたら大丈夫よ」と言われたら、「あ、そうなんか!」となってしまっても当たり前ではあると思います。 しかし、なぜ嘘、とまではいかないにせよほぼ嘘の情報をどんどん流して国民に信じ込ませているのか!? これはとても謎です。 みんながみんな、N 95のような高機能マスクを着用しているならまだしも、普通のマスクで過ごすことに何の意味があるのか、甚だ疑問に思うのは私だけでしょうか? 「コロナが終わってマスクを外す、というよりマスクを外さないとコロナパンデミックは終わらない」と言っていた方がおられますが、本当にそうかもしれません。 人は、素顔を見せて、その細やかな表情表現でコミュニケーションをとるものです。 みんながみんな、マスクをしているのは、まさに諺通り、「蓮華草を家の中に飾っている姿」そのものなのかもしれませんね。 健康においても如り、であります。 プロテインの流行で、老若男女プロテインを摂るような傾向が最近目立ちます。 コンビニに行っても“プロテイン入りドリンク”などが山ほどあります。 健康に筋肉量は必須条件なのは確かです。 筋肉には、体を守るだけでなく、目に見えないネガティヴエネルギーを跳ね返すという役割もあるくらいですので、心を守る意味でも大切です。 しかし、基本的な運動無くして筋肉が強化されることはありません。 人間は歩くように作られています。 その基本的な動作無くして、プロテインを服用していればいい、ということではないのですね。 自然の恵みの、植物性や動物性のタンパク質をバランの良い食事で摂取し、人間らしく普通に身体を使っていれば、問題はありません。 それが人間にとって1番自然で、美しい姿なのです。 何につけても、「美しさ」の感覚がずれていては健全な心と身体にはならないのです。 自然の美しさ、自然界の中の人間の美しさ、この辺りが抜け落ちている人生観では世の中おかしくなってきて当然なのかもしれません。 自分の中の真価を発揮するにはどうあるべきか、今一度、考え直してみる良い機会なのかもしれませんね。 皆様は、いかが思われますでしょうか?