【諺から考える健康学 35】

『薬も過ぎれば毒になる(くすりもすぎればどくになる)』という諺があります。 これは、「どんなよいものであっても、度が過ぎればかえって害になるということのたとえ」のことです。 昨今の日本には、「正義」という名の薬が横行しているように思われます。 特に、このコロナ禍で、生活様式に関しての正義が跋扈していますよね。 「マスクをしているのは当たり前、それも素材は不織布でなきゃ、他人様に迷惑がかかるよ!」 「ワクチンうつのは、自分のためというより、人にうつさないようにとの心遣い!」 「店内で近寄って来ないでよ!」 「今の総理は、コロナ対策が全くなってないからダメだ!」 などなど…。 聞いてて「???」というものが殆どですが、一年半も毎日毎日、おかしな放送や情報に触れていると、こうもなってしまうのか…、と少し悲しい感じもします。 自分達は『正義の刃』を振りかざして、世を正しているつもりなのでしょう。 先程の喩えが、本当に正義かどうかは別として、いつの時代も多少なりとも、この『正義の刃』を振りかざすということはあったかな、と思います。 ただ、どうでしょう。 「正義の刃」というのは、自分が間違っているだろうと判断した相手をバッサリ斬るものなのでしょうか? 私はそれは違うと思うのです。 「正義の刃」は、本来は自らの心の過ち、自らの邪な思いを切り落とすものなのではないでしょうか? 自分自身を、より高みのある人間に昇華させるために、その重しとなっているモノを削ぎ落とすモノなのでは?と私は思うのです。 いくら「正義」の名の下であったとしても、他人を斬ってしまうものは、もうすでに「凶器」でしかない、こう私は思います。 「正義の刃」を振りかざすのは結構。 しかし、それはあくまでも自らの邪なる思いを断つために正しい使い方で、正しく使って頂きたいと思います。 健康においても如り、です。 どんなに良い薬でも、どんなに良い健康食品でも、また、どんなに良い治療法であっても使い方を間違えたら、ただ健康を害するだけです。 本当に正しい使い方、本当に正しい摂取方法、本当に正しい診方、というのがあって初めて、健康に役に立つのですね。 良いもの、正しいものであれば、何でもかんでも、誰でもどんな状況でも使って良いわけではないのです。 ましてや、他人に勧める場合は本当に注意しなくてはなりませんね。 同じ病気でも、同じ症状でも、人それぞれ体質や病期は違うのです。 そこを無視してはならない、と私は思います。 昨今、情報が氾濫する世の中、ひと昔前より膨大な健康情報が流れています。 情報を見極める目を持つのも大切ですし、発信する側も、もっと慎重な態度、検証が必要なのではないかと、私は最近特に感じております。 皆様は、いかがお考えでしょうか?