諺から考える健康学 87

2023.9記 【諺から考える健康学 86】 『やはり野に置け蓮華草(やはりのにおけれんげそう)』という諺があります。 これは、「蓮華草のような野の花は、家の中に飾っても調和せず、やはり野の花は野に咲いていてこそ美しいのだということ。すべてのものは、それにふさわしい環境の中でこそ、そのよさも真価も発揮できるということのたとえ」のことです。 最近、懲りもせず、またまた議員汚職の話題が出ております。 毎度毎度、明るみに出るにも関わらず、懲りもせずよくやるものだ、と怒りを通り越して呆れて、憐れみに近い感覚になってしまいます。 国会議員は国民の期待を一身に背負って当選し、なるものです。 それが次第次第に、私利私欲に染まってしまうのは、とても愚かなことです。 本来、議員職というのは、自分一人の力で得た地位ではありません。 自分を選んで投票してくれた国民がいるからこそ、議員職につけるのですよね。 ならば、日々、自分を選んでくれた有権者に対して感謝を忘れずに過ごさなければならないのではないでしょうか? もし、全議員がたったそれだけの事を毎日出来たとしたならば、今のような政界にはなっていないのではないでしょうか? ぜひ、国会開催中だけでも開催前に「有権者に対する感謝の時間」をとっても頂きたい、と思ってしまいます。 この感謝がなくなってくるから、薄くなってくるからこそ、国家に対する愛がなくなり、亡国を望んでいるかのような行動や政策ばかりが出現しているのではないか!? と、ふと考えるのは、私だけでしょうか? 野に咲く蓮花草のように、美しい国家運営をしてもらいたいものです。 皆様はいかがお考えでしょうか? 健康においても如り、であります。 日々、健康に対する感謝、自分の身体に対する感謝ができているか否か。 日々とまでいかなくとも、定期的にそれができているか否か、で健康を害する度合いは天と地の差ほどできると言って良いかもしれません。 朝、目が覚めて「あぁ、生命が今日も頂けている」と、毎日思えるようになったなら、そこには病など付け入る隙がありません。 そこまで行けずとも、毎日毎日、自分のために文句も言わず働き続けてくれている自分の身体に感謝しなくてはいけないのではないか!?と、私は思います。 いつの間にか、「身体は、自分のもの。好き勝手にしていいんだ!」と思い込み、やりたい放題で病気になる。簡単にひとことで言うなら、これが病気の発生過程です。 「嫌々、私はそんな事ない」 と反論される方もおられるかもしれませんが、好き勝手にしているつもりがなくても、身体の立場から考えれば、好き勝手されている事も多々あるのですね。 蓮華草を、うちに持って帰って花瓶にさしているか、の如くです。 それは、日々の感謝の中で、自分自身の身体と対話して、対峙して初めて解るものなのです。 ぜひ、この『日々の自分の身体への感謝』というのを始めてみませんか? 私も決してできているわけではありません。習慣化出来るまで、日々、努力していきたいと思いっています。 これが習慣化できたら、日本の医療費はきっと、激減するに違いないと、私は思っています。 皆様はいかが、お考えでしょうか?