諺から考える健康学 95

【諺から考える健康学 95】 『人参で行水(にんじんでぎょうずい)』という諺があります。 これは、「高価な漢方薬の朝鮮人参を浴びるほどたくさん飲む意から、金銭を惜しまずに、あらゆる手を尽くして治療することのたとえ」のことです。 「子育て支援に、健保料を微増させて財源を確保する」 ということに、巷では論議が交わされてきますが、そもそも、子育て支援をしなくてはならなくなった背景には、政治の失敗があるのではないかと私は思います。 何だかんだいって、国の人口は国力に比例します。 その人口が減少していく事に関しては、30年以上前から明確だったのではないでしょうか? それに対して、何の抜本的な策も功じず、行き当たりばったりの支援しかしてこなかった、言わば、「票取り支援」しかしてこなかった政治の失敗に他なりません。 今回の子育て支援に関してもそうなのだはないでしょうか? 私は、子育て支援をすることの是非ではなく、はたまた、その微収方法の是非ではなく、そもそもの「抜本的解決の無策」を問うべきではないのかなぁ、と思っしまいます。 諺通り、お金をかけてあらゆる手を尽くして治療したとしても、目的が間違っていたら無駄にしかなりません。 人参は万能ではありません。 正しい用い方をしなければ、いくらお金をかけたとしても、治療の効果は得られないのですね。 政治手腕においても如り、ではないでしょうか!? 人口減少を食い止めるための抜本的な解決案が無いのに、いくら行き当たりばったりで支援したところで人口減少は食い止めることは出来ないでしょう。 未来に展望がない、衰退しか見えない国に、頑張って子孫を残していこうと考える人は、少なくなって当然です。 そこから、スタートして考えなければならないのでは!?と思うのは、私だけでしょうか?? 皆様は、いかがお考えでしょうか? 健康においても如り、であります。 まさに諺通り、あらゆる手を尽くして治療にあたる方は数多くみられます。 しかし、あらゆる病気になった原因を考え抜く人は、そう多くありません。 拙書「心主身従」でも、詳しく論じておりますが、病気になるには「病気を引き起こす心」というものが必ず存在します。 ここを見ずして、病の抜本的解決はあり得ません。 財産を投入して、一つクリアしたとしても、また次なる病が訪れて来るのですね。 自らの心を深く見つめ、深く考え、病の源となる自らの心のあり方探ることは、一円もかかりません。 しかし、財産を投入するよりも正念の要ることでもありますし、苦しいことでもあり、ある意味、大変なことでもあります。 でも、これを行じ、実行できたなら、人生の宝を手に入れることが出来るのですね。 病の本当の意味を知ることができ、かつ、人生の意味を知ることが出来るのでは、ないでしょうか!? 人生の根本治療、この観点が大切だと、私は常々、考えております。 皆様はいかが、お考えでしょうか?